
小泉小太郎
前山村鉄城(まえやまむらてつじょう)の頂に 一寺がありました。この寺の住持のもとに毎夜美しい女が通ってきました。真夜中に、いずこから来ていずこへ去るとも知れません。住僧は長らく暮すうちに、いぶかしく思うようになりました。そこである夜、女の着物の裾に針をつけ糸を繰り出してやりました。夜が明けて見ると、糸は戸の節孔(ふしあな)からぬけて山の沢を下り産川(さんがわ)の上流にある「鞍渕(くらふち)」の岩窟の中まで引いていました。
みると大蛇がとぐろをまいて赤児を産もうと苦しんでいる様子に、住僧は驚いて逃げ帰ってしまいました。このことによって、毎夜通ってくる女は鞍渕の主で大蛇であることがわかりました。
大蛇はさされた針の鉄の毒に弱り、そのうえ、己の姿も覚えられたのを恥ずかしく想い、腹に宿した児を「鞍岩」の上に産みおいて、ここで死んでしまいました。故に、この川の名を「産川」というのです。その後大雨が降って洪水が漲(みなぎ)って山や沢をひたし、大蛇の遺骨は産川に流れ出し「蛇骨石(じゃこついし)」となって下流に散らばっています。今でも産川を歩くと拾うことができます。
生まれえた児は、二里(約八キロメートル)余り押し流されて小泉村のある老婆に救われました。これが「小泉の小太郎」です。小太郎がやがて成長し十四、五歳のころであったか、老婆が、「わが家は、さほど豊かというでもないが年ごろの養育も一方ではない。おまえも今は一人前の大人となった。婆のために少しは手助けをしろや。」と言いました。
小太郎は生まれつき小兵(こひょう)であったけれども、体は逞(たくま)しくて毎日大食して何一つ仕事らしい仕事をしたことがない。そこで小太郎は婆を気の毒に思い、ある日、小泉山へ一日出かけて行っては薪(たきぎ)取りをしました。そして小泉山にある限りの萩の木を根こそぎにし尽し、力をこめて束ね、たった二抱えばかりの束にして夕方家へ帰ってきました。そして、「この束は結び縄を解かないで一本ずつ抜きつつ焚きな、山じゅうの萩の束だからな。」と言いました。老婆は、「よしよし。」と答えましたが、腹の中で「一日仕事に、どうして山じゅうの萩やなんか採れるもんか、こんな小束にまとまるものか。」と小馬鹿にして小太郎の留守に結び縄を解きました。
すると萩はたちまち、はぜくりかえって家いっぱいに広がり煙出しをはねあげてしまいました。老婆は萩に押しつぶされて死んでしまいました。それから小泉山には萩が一本も生いていなくなりました。
また小太郎の子孫は長くこの地に住んでいますが、横腹に蛇の鱗(こけら)のあとがあるといわれています。
この伝説は、松谷みよ子氏の『龍の子太郎』の原話としても有名です。蛇骨石は「曹達沸石(そうだふっせき)」と称するもので、母岩なる富士集塊岩の分解して生じた白色繊維状をしている鉱石です。小泉山には萩がないと伝えていますが現今では見ることができます。
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